旅のキヲク⑧ イエメン 愛すべき人たち その1
世界の国を評価するにも、いろんなポイントがある。
自然とか街とか歴史的建造物とか
そんななかで、「人」ならこの国かなぁ・・・
と思った国に避難勧告が出ている。
イエメンである。
◎スーラの街のあたりで
自分の旅行経験のなかでは、資源の出ないイスラム国の人々は素晴らしいと思えてきた。
そういえばニューヨークの語学学校に来ていたサウジ出身のガキは
見るからにエラそうで、「こいつほんまもんのクソやな」と思ったものだ。
だが、資源も無くて、そこまで観光客ずれしていない(まぁ、観光客ずれしている
輩もたくさんいたが)この国の人たちはとってもフレンドリーで、道に迷ってる風だと
いかついにーちゃんがヘルプしてくれたもんだ。
イスラム教はスタンスが悪くでると、集団たかりみたいなことになるが、基本みんな助け合いスピリットがよく出ている。
◎ワディ・ドゥアンの集落
イエメンはもともと北イエメンと南イエメンに分かれていた。民主主義と社会主義ではなくて、北の宗教国家と南の社会主義だ。そして、南が他の国々と同様つぶれ、北に吸収された。そもそもイスラム教はマホメットが生まれて死んだ宗主国サウジアラビアからの距離によって強さが変わる。比較的理解しやすいのは女性の服装で、厳しいほど女性の露出が少なくなる。一番厳しいのはブルカという眼だけ出してあとは(黒い)布で全身を覆ってしまうもの。サウジ界隈はたいていこれだ。例えばトルコはかつてイスラムの宗主国だったが、もともとがアラブ人ではないので、女性はスカーフで頭を巻くだけ。イエメンはサウジの隣国だから、宗教意識はとても強い。
◎タリームの街を歩いていた女性たち
さて、イエメンは大きく2つのパートに分けられる。首都サナアを含む高原エリアと東側の灼熱エリア。高原エリアは高地にある分、全然過ごしやすい。もともとイエメンは遥か昔はシバの女王で有名なシバ王国があったところ。また、昔から交易が盛んで、有名なのはモカ・コーヒー。モカというのはコーヒーの品種ではなくて、イエメンにある街の名前。イエメンに限らず対岸のエチオピアあたりも含めて大々的に生産されていたコーヒーの大きな積出港だったため、この街の名前を取ってモカ・コーヒーと命名されたもの。残念ながらイエメンはあまり油が出なかったので近年はしょぼい国になってしまっているが、歴史も伝統もある国で、歴史的な世界遺産もいくつかある。
◎シャハラの石橋、コインの絵に使われるほどイエメンじゃ有名
サナア旧市街、現在内戦により危機遺産に登録されている。この美しい街が少しでも無事に残ることを祈りつつ、次回・・・・
◎シバームの旧市街でサッカーやってた子。今も無事でいますように
旅のキヲク⑦ オーストリア 世界で一番好きな絵があるところ その1
ヨーロッパ人は?でもヨーロッパは好きだw
さて、今日はオーストリアのウィーン。
芸術、建物系ではここに勝る場所は無い。
結婚式を挙げたギリシャは別格として、次にどこを挙げるか迷った末この国にする。
今現在世界でもっとも好きな絵が存在する場所だ。
◎もう10年ちょっと前のウィーン市街
好きな絵ってのもこれまでけっこう変わってきた。自分の本格的に絵画が好きになるきっかけを与えてくれたのは、今でも覚えている、白馬のシャガール美術館と白樺湖のところにあるマリー・ローランサン美術館だ。そこから、定番のモネに行き、印象派をうろちょろして、そこからフォービズムや野獣派に手を延ばし・・・なんてやってるうちに、興味の無かったもっと古いものにも興味が出てきた。今、一番しっくりくるのはフランドル絵画やバロック絵画・・・・
そう、オーストリアといってもシーレやクリムトではない。二人ともそれはそれですごいのだけど、僕的には美術史美術館にハプスブルグの権力に明かして壮大なコレクションをお持ちの、元祖ピーテル・ブリューゲル、なかでもベタで申し訳ないけど「バベルの塔」が一番好きな絵画だ。
◎ま、これがそうなんですけど、もちろん写真じゃわからないので、本物見てくださいね。
フェルメールやレンブラントも好きなのだけど(ルーベンスはキライ)一番というとこの人に勝るもんはない。この人の場合、細部まで徹底的に細かい作品「ネーデルラントの諺」や「子供の遊戯」なんかも有名かもしれないけど、もちろんそれだけじゃない。t特にこの「バベルの塔」はすごい。実は彼は「バベルの塔」という作品をもう一枚描いていてロッテルダムにあるのだが、こっちのがすごかった。
おっと絵画だけで突っ走ってしまった。
ウィーンは治安で言えばかなり良くて、たぶん今でもほとんど危険を感じずに旅できる場所だろう。そして、さすがにハプスブルグ帝国の心臓部だけあって、絵画だけではない。いうまでもなく3大オペラ座の一つはここにあるし、ウィーン・フィルの本拠地もここ。さすがにベルサイユほどきらっきらでは無いにせよ、かなり豪華なシェーンブルン宮殿もある。それに、さすがに日本人がウィーン好きなだけあって、ウィーンの人もわりかし日本に好意的だ。
◎初めて見たときはあまりの色のセンスの悪さ?にびっくりしたもんだ。ウィーン・フィルの本拠地「楽友協会」
まぁ残念なところといえば、冷戦中に西側とも仲良かったせいで、古い建物が建て替えられており、京都のように近代的な建物のなかに歴史的建造物がある、という感じになってしまっていることかな(プラハと比べて、ということだけども)。おっと街のことについては、また後日語りましょう。
◎街のランドマーク、シュテファン教会
旅のキヲク⑥ イスラエル 神々の集まりすぎた場所で その1
おおよそ1キロメートル四方のなかに3つの有名宗教の聖地がある場所。
世界には絶対行っとくべきところがある。
まぁ人によってその場所はばらばらだろうけど、僕ならその一つにこの街を推す。
ちなみに3つの宗教とは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教だ。
このうちユダヤ教とイスラム教の聖地は同じ場所にある。ユダヤ教とイスラム教の長きにわたる争いの原因になっている場所だ。なぜこういうことになっているかというと、もともとユダヤ神殿のあった場所にイスラム教のモスク(岩のドーム)を建ててしまったから。
しかも悪いことに、この場所はイスラム教第3の聖地である。ちなみに第1と第2はそれぞれマホメットが生まれたメッカと死んだメディナで双方サウジアラビアにある。なぜ第3の聖地がエルサエムかというと、なんでも昔、とある偉い方の夢で、既に故人であったマホメットがメッカから遠く離れた場所に降り立ったそうだ。その遠方はどこかと調べさせて、この辺がよかろうということなったのが、エルサレム。まぁキリスト教もイスラム教も根っこは同じ宗教なので(イスラム教でもイエス・キリストは預言者の一人だ)、こういうこともありうるのだろうけど、ダマスカスあたりにしときゃ後世ここまでもめることは無かっただろうにと悔やまれる。
◎これが岩のドームと呼ばれる、旧ユダヤ宮殿の上に立つイスラム・モスク
ちなみにユダヤ人がここを故郷だと言ってるのは、オスマントルコみたくここから世界に覇をとなえたわけではないけど、例のモーゼの話でユダヤ人がエジプトから脱出した後、紀元前1000年ぐらいにダビデ王、ソロモン王あたりが王国運営して、羽振り良くて、ほどなくどこだったかの属国となったものの、代々この地に住んでいたから。
ま、そんな過去のしがらみもなんのその、ユダヤ(ヘブライ)王国の再生を夢見るユダヤ人と侵入されたパレスチナ人およびそれをバックアップするイスラム国家達のあいだで、常に一色触発の危機にあるエリアなのだ。
◎アラブ系の住民がいるエリアは活気にあふれている。
ちなみに有名な話であるが、今日のこのエリアの緊張の種をまいたのはイギリスである。要するに第二次大戦までに、ユダヤ人にもパレスチナ人にもこの地に国家を立てイギリスがバックアップすることを約束したのである。世界中にいろんな火種を撒き散らしながら、平和だのなんだのと力説するヨーロッパ人のタチの悪さがここでも出ている。
それはさておき、イスラエルと中東の国々とは今でも大変仲が悪いので、イスラエルの入国スタンプがあるといくつかの中東の国々に入れてもらえなかったりする。僕もパスポート期限の終わりごろに行ったので、今のパスポートに入国記録はない。
◎なんでキリスト教の聖地かといえば、言うまでもない、イエス・キリストはこの地で十字架刑に処せられたから。上の写真は磔になったイエスキリストが降ろされた場所らしい。
僕が行ったのは自爆テロが大ブームだったころから少し落ち着いた時期で、相当に注意しとかないといけないと思ったら、意外にあっさり行って帰ってこれた。まぁパレスチナ人への締め付けはいっそう強くなっているようだったけど。欧米と中東は現在関係が悪いが、意外に今のイスラエル行くのは大丈夫かもな?と思ったりする(もちろん行かれて何か起こったからといって当方責任はとれません)
実を言うと、今までいろんな国を旅してきたけどこの旅だけは完全ツアーを利用した。オジサン的にはちょっとびびってた。まぁその分いろんな説明を聞けて良かったかもしれないけど。
◎ご存知「嘆きの壁」、嘆きの壁とはイエス・キリストとも関わるヘロデ大王の築いた神殿の西側外壁部分のことで、ユダヤ人がここで神殿の破壊を嘆き悲しむ。
旅のキヲク⑤ 偉大なるアフリカン・サファリー東アフリカで その1
実はサファリ関係はしばらく前、ムスメのことを書いたときに触れてるのだけど.....
サファリの魅力ってなんだろう?
あの空気感かな?
からっと晴れた空にどこまでもひろがる大地。
観光で東アフリカを訪れる人たちはかなりの比率で、サファリに行く。
現地人から「動物ばっかり」
と批判されてもだ。
◎まぁやっぱり最初はゾウですか?ムスメも大好き!
うちも結局サファリに行く。
なぜサファリに行ってしまうんだろう?
たぶんその空気感なんだろう。
国立公園のなかは、ケニアであってケニアでない。
タンザニアであってタンザニアではない。
たとえ人間が保護しているとしても、
そこは人間以外の動物の国なのだ。
実は生まれて初めて行った海外旅行はケニアだった。
30過ぎてたけどね。
30過ぎまで海外大嫌いの超ドメスティック男がどっか一国行くとしたら、それはケニアだった。アフリカに憧れがあったんだろうね。
◎あまり意味は無いんですが次はキリン、実はアミメキリンでサンブル国立公園で
実際のところ、ケニアを旅するのはそんなに難しいことではない。ま、別にケニアに限ったことじゃないけど。ケニアにだってタンザニアにだって、日系の旅行会社はあって、英語なんて全くしゃべれなくても行って帰ってくることも可能だ。そもそも日本の大手だってツアー組んでたりするだろう。サファリってのは結局んところリゾートなんだよね。きれいな海行くのとスタンスはそう変わらない。
東アフリカでサファリやる人間が治安に気を付けるとしたら、やはりナイロビ。この街は危ない。もう匂いが危ない。あとはそれほどでもない。そして動物の楽園に入ったら、人間の政治の世界からは隔絶される。
◎百獣の王ライオン....ってほんとはオスは全然働かないの。「ごくつぶし」ってやつ。
なんか抽象的なことしか書いてないけど、詳細はまた追って。
やっぱり空気なんだよな(笑)
◎そして今日の最後は子ライオン。ネコじゃないっす。
旅のキヲク④ USA ニューヨークに来たぁ ! ! その1
いや、前回からちょっと時間があいてしまった。
さて、最高といえば最高の体験、でもこの体験は別格。
1年のNY滞在。これは旅とは言えないのかもしれないが、素晴らしい体験だった。
世界で住みたい街は?って聞かれると僕の場合は3都市。
東京、ロンドンそしてこのNY。まぁバルセロナもけっこう好きではあるけども。
さて、自費で滞在した1年間。いろいろありました。
苦労ってところで考えると、結局行くときの苦労が一番大きかった。学生ビザ(F-1)の取得、特に生後1ヵ月で渡米したムスメのビザ取得がきつかった。なにせ戸籍の取得→住民票→パスポート→I-20→ビザってな感じ。ムスメが生まれたのが9月6日。僕がアメリカに発ったのが10月7日。遠く離れた実家の町で戸籍つくるとかあったので、本当に1日も無駄にせずにアメリカ出発までに何とかすべての手続きだけは終えた。結局ビザの受領自体は僕の出発までに間に合わず、後発のヨメがもらってきてくれたけど、ほんと疲れました。
次の苦労は、住居かな。NYはご存知のとおり家賃めっちゃ高いのです。NYという街はブロンクス、マンハッタン、クイーンズ、ブルックリン、スタテン島の5つのパートに分かれるのだけども、みんながイメージするであろうマンハッタン(島)はどんなに狭くても月30万円はするというスペシャルエリアで、はなっからそんなところはムリ。ちなみに、アポロシアターなんかで有名なハーレムはマンハッタン・エリアに含まれます。
マンハッタン以外を簡単に言ってしまえば、次にいけてるのがブルックリンで、おしゃれ度も高く、マンハッタンに面した側はマンハッタンと同じぐらいお家賃高いです。次はクイーンズかな。スタテン島は船でしか行けないので、一般的には論外エリアで、あとブロンクスは治安が悪くて有名です。ハーレムもマンハッタンとはいえ、治安が悪いので、家賃は安めです。まぁ昔と違ってだいぶ改善されてはきてるみたいですけど。
で、以上のきわめて簡単すぎる説明をもとに、日系の不動産屋さんいろいろあたったのだけど、あっちの日系不動産屋はそれでなくてもタチ悪くって有名なので、ヨメの来るまで、やれクイーンズだのニュージャージーだのブルックリンだのと、いろいろ見て回った。結局決まったのはクイーンズのフォレストヒルズというところの2BR(ベッドルームの略ね)。NYという街の中で見るとややマンハッタンから遠いところなんだけども、街が落ち着いていて治安も良いので人気ある街。どっちかというと一人暮らしよりも家族向けの街かな。日本人てのは治安をめっちゃ気にする人たちなのだけども、そういう方々にもお勧めのトコロ。地下鉄の駅からも近くって、後々思うと、けっこうツイてる選択だった。ちなみに、NYの特徴として、安全なエリアと危険なエリアが普通に隣り合ってたりします。うちのフォレストヒルズのすぐ近くにあるコロナやジャマイカといったエリアはめっちゃ犯罪率高かったりとか。
◎うちの前の通り、めっちゃのどかだった。
◎これも同じようなところで。ムスメが立ってるので実は帰国直前
そうそう、部屋の言い方だけど、こっちはベッドルームの数で表示するのね。日本だと2LDKみたいな言い方。2ベッドルームだとリビングとダイニングに加えてベッドルームが2つあるって感じ。1ベッドルームのうちも全然普通。
◎窓開いてないので暗く見えますが、実際は南向き。うちの超広かったリビング
とりあえず今日は住居のとこまでにしましょ。そんなわけでヨメが来た10月27日までに何とか約1年住む家が決められました。この10月7日から10月27日までの間は当人はあまり自覚無かったのですが、かなりシビアな期間だったようで、NYに来たヨメが一目見てあまりにやせてるのにびっくりして、慌てて体重を計ってみたら、なんと5~6㎏もやせてました。それだけいろんなことに熱中してたってことだろうな。
旅のキヲク③ エクアドル ガラパゴス諸島 トータルバランスに優れた世界自然遺産第一号!その1
旅の行き先第一位を決めるのは難しいといったけど、もし、いろんなテーマ別に点数をつけていって、その総合点を競わせたら第一位になっちゃうんじゃないかと思うのが、今日紹介するガラパゴス諸島。
はい、このリクガメで有名なところです。ガラパゴス諸島ってどこにあるか知ってる?南米エクアドルという国に属し、沖合1000㎞ぐらいのところに20ぐらいの島からなる諸島のこと。でかいゾウガメがいることやダーウィンさんが進化論に気づいたことで有名なフィンチがいるところでもある。日本からは遠いので意外になじみが薄いかもしれないけど、欧米人の人気は高い。よって世界自然遺産第一号指定を受けていたりする。下地図がガラパゴス諸島の主な位置関係。
何が指定第一号や総合点一位などと言わしめるのかというと、別に島固有の珍しい動物が多いからというだけでは無い。ここは環境を中心に考えたエコツーリズムが徹底していて、誰もが滞在の終わりには諸島や環境についてそれなりに理解して帰る、ということが可能だからなのだと思う。ここには専門のツアーガイド達がいるが、ツアーガイドになるのは相当に難しい勉強をしなければならないと聞いた。
ちなみに、物価もエクアドル本土とは全く違う。この諸島に限ってはすべてヨーロッパ価格。安さのかけらもない。あえて言うけど、ここはバックパッカーさんが安く上げることを自慢に行っても得るものはあんまりない。当方、旅行経験は豊富だけど、自分がバックパッカーだと思ったことはないし、かけるべき金はかけてきた。ここは、今までで一番カネがかかった旅行先だったりするし、かけただけの値打ちはあったと思う。
僕が行ったのはかれこれ10年ちょっと前の話なんだけど、このとき使ったのが「アルタ号」。さすが帆船、お値段高そうに見えるけどぶっちゃけ高かったっす。たぶん今はもう無いかも。でも使って良かった。この船を使ってなかったらここをここまで評価してなかったかもしれない。ガイドのボリバーも人使いは荒かったwけど、よくなんでも知っていた。値段分、ぜいたく三昧ではなくって、昼も夜もたっぷり動かす、という地獄のようなスケジュールだったけど、充実感満載だった。ガラパゴス諸島にはイサベラ島とフェルナンディナ島という、ベースとなる島からは遠いポイントがあるのだけど、当然、それらの島もフォローしたし、それぞれ素晴らしい体験だった。
◎帆をフルオープンの写真が無いけど、我らが「アルタ号」
◎これはフェルナンディナ島での1シーン、左から2人目がガイドのボリバー
船の上での1シーン
あ、ちなみに一般的なクルーズは3泊4日と4泊5日と7泊8日というのがあるんだけど(もちろんそれ以外もある)、当然7泊8日がおすすめ。3泊4日と4泊5日は組み合わせて7泊8日の行程になることが多いんだけど、その場合、4泊5日に見どころを持ってくる傾向が強いので、3泊4日は絶対選んじゃダメ。うちのクルーズは7泊8日で途中客の入れ替え無しなので、最後までアットホームで楽しかった。
それから、クルーズには大型、中型、小型船の選択肢があるけど、自分は船酔いひどいという人は小型船は選んじゃダメ。太平洋上なので、波は静かな場合でも高く少しでも荒れようもんならもう・・・・でも、僕の乗った「アルタ号」は定員16名だったかで小型船なわけで、搭乗日と翌日はちょっと船酔いで苦しんだけど、慣れた後はこじんまりが良かったな。自分的には小型船で良かったと思ってる。
◎これも同じみガラパゴスグンカンドリ
旅のキヲク② ギリシャ サントリーニ島 ここで式をやりました ! !
一番良かった旅はどこ?なんて質問をもらうことがあるけど、一番なんてなかなか難しい。
しかし、ギリシャのサントリーニ島はあえて一番と言っても良い。なぜかとゆーとそこで結婚式をあげたからっ!!少なくとも一番と言わないとヨメは機嫌が悪い。
もともとがそ~いう感じの島だからもちろん悪かろうはずはないけど、あの夏はバタバタしながら楽しかったなぁ。だいたい1週間ぐらいの旅で、島だけなら3泊4日ぐらいのスケジュールだったけど、イメージ通りの素晴らしい島どした。
白い家と青い屋根。みんなが思うようなギリシャの島を体感したいなら、まずミコノス島かサントリーニ島なんでしょう。うちらはサントリーニ島のイアという夕日で有名なエリアに宿を取った。まぁフィラっていうもっと栄えている中心地もあったけど、ツウっぽくないし、世界一とかいう夕日に惹かれたわけさぁ。
ってなわけで泊まっていたのはファナリ・ビラってところ。上の写真の手前部分。結婚式だからけっこう奮発!!でもまぁおかげで後悔ない滞在になった。
ちなみに、キリスト教といってもカトリックとかプロテスタントとかいろいろ宗派があって、ギリシャにはギリシャ正教というけっこうかっちりめのがあるんだけど、部外者には当然冷たくって、ギリシャ正教の方でないと教会の式は挙げられない。うちら夫婦は当然敬虔な?仏教徒であるので、ホテルで式を挙げることになった。まぁ日本人でギリシャあたりで式をやってる方はたいていそうだと思う。
お粗末ながら、上2枚は結婚式のときのもの、上側の写真もよく見ると左側に二人立ってるのが見えるはず。
貧乏性なので、式の前の日も1日クルーズツアーなんてのに参加して、夕方の帰る船に乗り遅れて、思わず式不可能?かと思ったけど、別な船に乗せてもらって何とか本島に帰ることができた。
ま、トラブルもあったけど、きれいな夕日はばっちり見られたし、結婚式もちゃんとできて、まったく知らない外国の方たちに祝福してもらえたし、素敵な旅どした。